ケテルは「王冠」を意味し、セフィロトの中で最も高次かつ純粋な存在原理とされる。
それは神の意志そのもの、あるいは神の“最初の自己認識”ともいわれる。
ケテルは形がなく、言葉では捉えきれない。
知性でも感情でもなく、それらすべての根源であり、「存在の前の存在」とされる。
カバラにおいては、ここから「コクマー(叡智)=直観」と「ビナー(理解)=構造」へと光が流れていく。
ニルス論における「光」は、意志(黄)と 思考(藍)が分かれる前の存在。
そしてこの光は「円環の始まり」であり、また「すべてが巡り還る場所」でもある。
この意味で、ケテルは明確に「光」に対応する。
さらにケテルは形を持たない存在として、「質性体そのもの」の象徴でもあり、
ニルス論における質量(マチテ)とエネルギー(ルミネ)の“前”の段階に位置する。
ケテルは、世界が「意味を持つ前」の、ただ静かにある存在。
ニルス論でいうなら、それは 「意味以前の存在肯定」 そのものである。
🌀 それは「すべてが可能である」という混沌ではなく、
「すでにすべてが満ちている」という沈黙。
ケテルは、「これから何かをする前の、自分自身にただ立ち返る」地点。
それはまさに、光としての“いのち”の原型。
ケテルは、宇宙のすべての秩序や関係が生まれる前の、「ただ在る」こと。
そして、ニルス論においてはその光が、意志と、思考と、すべての循環の起点となる。
次回:コクマー(叡智)× 碧(循環)へ。