コクマーは「叡智」と訳されるが、その本質は“純粋な直観”であり、
まだ言葉にも思考にもなっていない「ひらめき」の源泉。
ケテルが「在る」そのものだとすれば、
コクマーは「そこから流れ出す最初の動き」である。
ここから、女性的原理であるビナー(理解)に受け取られ、
秩序化・構造化されることで、知識や形となっていく。
ニルス論における「碧(循環)」は、
意志や感情、経験などが内側からあふれたあと、
それを“別の方向”へと流し、つなぎ直していく力。
コクマーもまた、
この「一筋の流れ」は、
まさに碧がもつ“流転・再配置・達観”という性質と響き合う。
ただし、この直観には意志(黄)のスパークや、祈願(萌)の広がりといった側面も感じられる。
しかしニルス論においては、コクマーが持つこの動きは、意志ではなく「思考的流れ」に近いとされ、
循環(碧)=流出する知として対応されている。
コクマーは、沈黙に対する最初の返答。
碧は、答えを抱えたまま再び静かに流れていく。
どちらも、秩序に定着しない“可能性の運動”なのだ。
🌀 それは「言葉になる前の知恵」。
言葉にしてしまうとすべてを失うかもしれない、繊細な閃き。
コクマーは、ケテルという沈黙の光から
最初にほとばしる“生きた閃き”。
ニルス論でいうなら、それは
「循環」の始まりとしての碧、
進化の中で訪れる“ひらめきの風”でもある。
次回:ビナー(理解)× 萌(祈願)へ。