
第4章:「生む力(感情)」と「続く力(思念)」
──揺れる心と信じる力、それが“個”を生む──
模倣(橙)と想像(紫)が交差するとき、私たちの内側には、“個”としての感覚が芽生えはじめます。 それは、世界と関係し、内側に何かを感じはじめる瞬間です。そしてその交点に現れるのが――「感情(赤)」と「思念(紅)」です。 この二つの力は、私たちが“わたし”として世界を生きはじめるために、欠かすことのできない心の根っこなのです。
🟥 生む力(赤)── 理想と現実の交差が生む、魂の揺れ
感情とは、内なる理想のイメージと、現実に出会った“いま”との間に生じる、心の隆起です。 想像(紫)によって描かれた「こうであってほしい」「きっとこうだろう」という像。 そのイメージが、現実とぶつかったとき、乖離すれば怒りや悲しみになり、一致すれば喜びとなり、超えれば感極まる涙になります。
感情は、一時的で激しく、瞬間の光のように私たちを動かします。しかし、それは“個我”がこの世界を生きているという証であり、身体に宿る魂の振動でもあるのです。
📌 具体例:
- 誕生日に期待していたプレゼントとは違うものが届いたとき:がっかり、悲しみ
- 想像以上に心を打つ贈り物をもらったとき:感激、涙
- 頑張った仕事の成果が報われなかったとき:怒り、悔しさ
- 予想以上の評価を受けたとき:喜び、達成感
感情は、単なる「感じること」ではなく、想像の中でつくられた理想と現実が交差したときに現れる、魂の反応です。
🌊 感情の源──交差点に生まれる心の隆起
この感情は、以下の力が重なったときに現れます:
- 萌(広げる力)
- 青(並ぶ力=区分け)
- 橙(重ねる力=模倣)
- 紫(引き込む力=想像)
これらの力が一点に集まり、まるで波と波が重なって大きな波になるように、感情は心の中で“隆起”として現れます。そして、その交点に「個我(こが)」が宿ります。 そこに、“私はこう感じている”という個としての確かな感覚が生まれるのです。
🟣 紫から紅へ:想像から信仰へ
想像(紫)は、私たちが内側で育てたイメージや存在です。それは、形のない理想や像として、私たちの中に静かに存在しています。 思念(紅)は、その紫の像に対して「この存在を、私は信じる」と決める力。つまり、想像されたものを、愛し、信じることで成り立つ力です。
💗 続く力(紅)── ひとつを選びぬく“愛”のかたち
思念は、感情のように一瞬で燃え上がるものではありません。それはもっと静かで、長く、深く、時間をかけて根づく心の火です。
思念とは、「私はこれを大切にしたい」「この存在を信じたい」という持続的な想いです。 それは、偶像や物語、大切な人や作品、子どもなど、特定の“個”に向けられた信仰や愛の力なのです。
❤️ 萌の愛と紅の愛のちがい
- 萌(祈願)の愛:自然、大地、天候、神々、五穀豊穣といった全体や世界そのものを祈る愛
- 紅(思念)の愛:偶像、アイドル、作品、赤ん坊、恋人など特定の“個”を信じ、愛し続ける力
萌は“世界全体への広がる祈り”。紅は“ひとつの存在を選びとる信仰”。どちらも愛ですが、向かう先とかたちが異なるのです。
🧭 思念は魂の支えとなる
思念は、「何を信じて生きるか」という個の内なる軸です。それは、魂の中で形成された関係性に、自分自身の意志で根を張っていく行為でもあります。
- 「この人といたい」
- 「この世界を信じたい」
- 「この物語を生きていたい」
そう思い続けることそのものが、思念です。それは、自らの魂に方向を与える力でもあります。
🔥 情動(パトス)── 感情と思念が重なるとき、魂が動き出す
感情が“今ここ”の揺れであり、思念が“ずっと持ち続ける信念”であるならば、このふたつが合わさったとき、私たちの内側に情動(パトス)が生まれます。
情動は、心の奥からこみ上げる欲望や衝動。リビドーと呼ばれるような、生命の奥底から湧き出す生きる力です。
- 「何かを生み出したい」
- 「何かを求めたい」
- 「誰かを愛したい」
- 「この想いを形にしたい」
情動は、魂の“動きたい”という叫びでもあるのです。
力 | 意味 |
---|---|
感情 | 想像と現実の衝突から生まれる揺れ(短期) |
思念 | 信じる対象への継続的な愛と意志(長期) |
情動 | 感情と思念が重なり、生命力と欲望として噴き出す動き(根源) |
ときに感情は暴れ、思念は重くなり、情動はこじれてしまいます。それが怒りとなり、憎しみになり、執着や怨念となることもあるでしょう。けれど、すべての心はつなぎなおすことができます。
そのとき必要なのは、癒し、和らげ、めぐらせる力。 それが、次に現れる――「戻す力(調和)」と「流れる力(循環)」です。